今年のGWは10連休でしたね!
みなさんは素敵な連休を過ごされましたか?お出かけした人も、お家でゆっくりした方もリフレッシュできたことを願っています。
私は今年の連休は京都へひとり旅をしてきました。
その目的は、京都のお寺でゆっくりと心を休めるため。
今の会社に入社して2年、毎日が慌ただしく過ぎていく中で、人間関係や仕事のストレスが多く、心がズタズタ。恋人や中のいい友人に当たってしまうこともありました。
このままではいけない・・・何か変えたい!そう思った私は、せっかくの10連休を有意義に過ごすため、じっくり座禅が行える場所を探しました。
そうして見つけたのが、京都府亀山市にある宝泉寺「禅センター」です。
宝泉寺「禅センター」について。
宝泉寺は、お寺では珍しく初心者の受け入れ体制が整っていて、初心者にとても優しいお寺です。水曜日以外は毎日修行者の受け入れを行っています。
禅の体験ができる場所は関東にもありますが、私がわざわざ京都まで足を運んで宝泉寺を選んだには理由があります。
1つめは、価格がリーズナブル。関東で見かけた修行体験では、修行というよりエンタメ要素があり宿泊施設のような場所もあり、そういった場所では料金がお高め。それに比べ宝泉寺は3泊4日で1万円と大変リーズナブル。3食食事付きで、GWや年末年始でも金額の変動はありません。
2つ目は、泊まりでしっかりと修行が行いたかったため。都内でも座禅ができる施設はありますが、泊まりで数日間みっちり修行体験ができる場所はありませんでした。なぜ泊まりでみっちりやりたかったかというと、ただ座禅がしたいというよりは、禅の生活そのものを体験することで汚れまくった心をじっくりと洗い流したかったから。
3つ目は、少し遠くに行ってリフレッシュしたかったから。(笑)せっかくの連休だから、少し羽を伸ばして、ちょっと遠くに行きたいな〜と思っていた私には京都はベストな場所でした。一人でも楽しめそうだし。
何が良かったか?
私が禅修行をする上で何が良かったかと思い返すと、禅修行そのものよりも、同じ時期に修行に来ていた仲間たちとの交流が一番良い時間でした。老若男女、国籍も性別もバラバラの人たちが、何かを求めてお寺で一緒に修行をする・・・それ自体がとても素敵なことだと感じられました。
自由時間はお菓子を食べながらのおしゃべりタイムがあり、お寺側も修行者同士の交流を促進しているようでした。悩みを抱えている人も、そうでもない人も(言わずに心に秘めているだけかもしれませんが)今より少し良い人生を送りたい。そう思って、今、ここに集まった。そのこと自体に私はなぜか感動していました。
そして、修行が終わった今思うこと。
修行に行ってめっちゃ良かった!!!!
もし禅修行に行きたいけど悩んでいる・・・という人がいたら、絶対に行ってほしいです。人生が変わる、とまではいかないかもしれませんが、心に溜まった汚い垢が3泊4日でも少し綺麗になります。ストレスフルな生活を送っている方こそ訪れて欲しい場所です。
ただ、一つ言えることは、遊び目的では行かない方が良いです。レジャー施設ではなく「修行の場」なので、私たちのような修行者はお客様ではありません。生活するうえでの決まりごとも多く、守れない人は、住職や常駐さんと呼ばれているスタッフの方に厳しく注意を受けます。もちろん普通に守っていればそんなに怒られることもなく、基本的にみなさん優しいです。
修行後に変わったこと
修行する前は、終わった後は煩悩がなくなり、感情の起伏もなくなるはず!と思い挑みました。でもまあ、、人の性格はそんなにすぐ変わりませんよね。性格はまだ変わっていませんが、考え方の癖や思考を毎日少しずつ正していこう。と思うようになりました。
そんな私の心に響いた、住職のお話をいくつかご紹介したいと思います。
一つ目は、「姿勢を正すこと。」
姿勢がまっすぐになると心もまっすぐな状態に近づく。それが禅の基本なのです。
2つ目は、「自分を変えたければ、理想の自分像をしっかり持つこと。」
なんとなく「良い生活がしたいな」「楽に生きたいな」と考えているだけでは、いつまでたっても生活は変わりません。
良い生活とは何か?例えば年収500万円が欲しい、英語を流暢に話せるようになりたい。もしかしたら、ダイエットをして9号サイズの服が入るようになることがあなたにとって「良い生活」かもしれません。
理想の自分像を明確に持っていると、今自分が何をすべきかが見えて来て、すぐにでも行動に移すことができますね。それは、社会が求める自分ではなく、本当に自分が求めている生活は何なのか、今一度考えてみる必要があります。
3つ目は、「我を捨てること。」
我とは、ひとりよがり。自分勝手の考え。自分本位の考えで、端的に言うとわがままな考え方のことです。
自分の中から、今ある「我」を捨てて仏教の考えで言う「徳」を手に入れることができるというのです。私自身「我」が強いと認識していたため、この言葉にはハッとさせられました。
ただし我を捨てるということは、こだわりを捨てるということではありません。自分勝手な思い込みを捨てて、人のため、社会のために貢献することで徳を積むことができるということです。
いかがでしたか?
少しでもお寺の修行に興味を持っていただけたら嬉しいです。
長くなってしまいましたが、また少しずつ、京都の禅修行のお話をお伝えできればと思っています。